完全に理解できないからこそ、それは芸術と呼ばれる。

整列されているものに美しさを感じるのはなぜか、それが人間にとって都合が良いからだろう。

都合が良いと言うと何だが芸術という言葉からかけ離れてしまう感じがあるが、実際の所、美しさだって人間にとっての都合だ。とても都合の良いと思われる表現が愛されるというだけの話である。芸術はグルメなんかの「より美味しいものを探求する」という発想と根本は同じだ。

グルメ的なより美味しいものは食としての素晴らしさだ。食が人間にとって何をもたらすのかと言えばそれはより良い生存である。より長く生き続けるということだ、つまりはカロリーの高いものが基本的に美味いのである。それが健康を害するものであろうとも、古代から長々と続いてきた人間の歴史を鑑みれば高カロリーの方が人間にとっては高価値であるという思想は捨てきれない。

グルメは素晴らしいけれど、芸術とは呼ばれない。それは食の素晴らしさがもう既に理解されてしまっているからだ。具体的な形で。

だが、絵画などはまだ芸術と呼ばれている。何故ならその美しさをまだ具体的な言葉で理解し表現できていないからであり、その素晴らしさも様々だからである。

その素晴らしさが端的な言葉で説明でき、整然としたジャンル分けが完成されたら、芸術としての看板は降ろさなければならないだろう。

魅了して、注目され、研究され、未だ完全には理解されないから、それは芸術なのである。

自分が感じる素晴らしさを解明し、理解を進めるということは、同時に自分が感じる素晴らしさをすり減らしていくということでもあるのだ。