焦って自分の心を無視して世間の要求に応え続ける行為は自滅行為である。何もしない事が正解の場合もあるのだ。

何をしていいか分からないから、世間が言う正しさに頑張って追いつこうとする。追いついた所で、それが自然に行われた行為ではないのであるならば、きっとそれは苦しい。

何をしていいか分からないのならば、何もしなければ良いのである。何もしない事を続けていると、次第と心に余裕ができてくる、というか暇と退屈が苦しくで自然とやりたいことが出てくる。何かをやり続けることが苦しいのならば、何もしないで居続けることも苦しいのである。

だから、何をしていいか分からない時はただじっとするとか、ダラダラするとか、そういう事をすれば良いのである。他者が要求することは他者にとって都合が良いことである。世間が求めるのは世間の利益である。決してあなたの幸せではない。

周りが「あなたの幸せの為に」という名目で何かを命令する時があるかもしれない。そしてその命令によって幸せになれる場合もあるかもしれない。だが、確実に言えることは「命令した人間が幸せになる為」に命令しているということだ。自分に不都合が起こることを人は要求しない。自分に利益があったのは偶然か、他者が平等を重んじる人だったというだけである。

自分が自分の意志で幸せを追求し続けた場合の行動と、他者が他者の都合で命令し続けた場合の行動ならば、自分をより良い方向へ導くのは前者であろう。余程自分が愚かでない限りは。または余程有能で善良な他者に巡り合わない限りは。

ともかく、焦って自分の心を無視して世間の要求に応え続ける行為は自滅行為である。何もしない事が正解の場合もあるのだ。