思考と行動は小分けにして一定周期で交換しながら進めるのが石橋を叩いて渡るってことなのだろう
決断できないという事は現状維持を選択しているということだ。リスクを取らない生き方を否定するつもりはない。リスクを取ったからと言って成功する保証はないし、失敗したり誰かのカモになったりすることも多々ある。というか、頭の良い人達は「頭の悪い人達を挑戦させること」により金銭を儲けているのだ。
だから、誰かに唆されて安易に大きなリスクを背負ったりするのは考えものである。リスクは大胆な行動であるが、その行動に至るまでは慎重を期さなければならない。だが、難しいのは考えれば考えるほどに危険因子は見つかってくるし、恐怖は増えるし、脳みそは疲れる。安易に判断するのは現実が見えなくなってしまう危険な行為だが、考えずぎてしまう場合も想像上の危険が膨張してしまう事がある。
考えず過ぎも、考えなさ過ぎも良くないという話になる。
じゃあ、適度に思考の分量ってどこだ?という事なのだが、そんな事は私には全然分からない。理想を言えば、慎重に多くの思考を巡らせても現実を正確に観察できていて、想像以上に恐怖も膨らまない状態である。となると、思考フェーズと現実フェーズを一定周期で切り替えていくのが好ましいだろう。
時間が100あるとしたら、最初に50使って、残った50を現実に使うというような計画ではダメって話だ。そうすると、思考過剰による、妄想肥大や思考疲れや危険因子ばかりが見つかる、なんて事態になり、そもそも行動できない、正しい行動に至らないという結果になる。
逆に、思考もせずに最初から行動に移せば、それも危うい。
ってことなので、思考10現実10という風に細かい単位で思考フェーズと現実フェーズを切り替えていくのが無難であろう。
とは言っても、一発勝負で予行演習が非常に困難みたいなケースはどうすれば良いのだろうか?難しい。
似たようなケースの勉強と、そこから思考を巡らす作業を淡々と続けるしかないのだろうか。難しい。